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『中国の交通事故責任』
2007-05-31 Thu 09:40
法律英語の授業で、アメリカの弁護士であるJ老師がある判例を説明していた。
事案は、警察署が退職した元警官の勤務態度等の情報を誤って記録保存していたために、この元警官はいつまでたっても再就職ができなかった。同警官は元勤務先を相手に訴訟を提起したところ、一審で敗訴したものの、二審で勝訴したというものだった。某州の行政法規上、行政機関は同機関に勤務する職員(公務員)の記録は正確に保存しなければならないという規定があり、これを根拠として被告警察署の過失を認めたケースということであった。
 曉のとなりに坐っていたC君はJ老師に「行政法規は公法(国家機関の規律管理、国家と国民の関係を規律する法律)であり、本件民事訴訟は私法(私人間の権利関係を規律する法律)の問題である。なぜ、行政法規が根拠になるのか?」と質問した。
J老師はあれこれ説明していたが、C君は納得がいかないらしく、「J老師は、英米法は詳しいかもしれないけど、大陸法(ドイツ、フランス系の法体系)のことを知らない。きっと、質問の意味が分からないのだろう。」などと言っていた。
そこで、曉はC君に論戦をふっかけた。
質問の内容は、過失の根拠となる義務は全て法律に定めているのか、×××をしてはいけないという具体的義務の内容は全て法律で定まっているのかといったもの。
曉が言わんとすることは、①不注意で他人の身体、生命、財産を害するという過失責任を論じる場合、前提として△△△の行為をしなければならないのに、それを怠ったと評価することができなければならない。②過失の前提となる具体的義務は、それこそ幾通りもあり、ケースごとに違う。③行政法規は公法ではあるが、過失の前提である具体的義務の内容を特定するには、行政法規も判断材料の一つになるのではないかということである。
C君は曉の問題提起を意味が分らんといった顔で聞き、いつものように自信満々で自己の見解を述べる。曉は、これは例を挙げて具体的に話をした方がよいと考え、交通事故を例にとって話すことにした。
様々なケースを設定して、議論をしていると、C君が、歩行者が突然車道に飛び込んできて、通りかかった自動車が同人を跳ねた場合、自動車の運転手に全く落ち度がなくても、その歩行者に対し賠償責任を免れないというのだ(後で、歩行者が故意に車道に飛び込んだ場合は、自動車の運転者は責任を負わないと言い直していたが、、、)。
そんなバカなと、C君にあれこれ反論していると、著名な学者である梁慧星先生の論稿(「行人違章撞了白撞」)を一度読んでみろという。
家に戻り、インターネットで梁先生の論稿を探して読み、また関連文献を読んでみた。
その結果、分かったことを整理すると、こうなる。
中国では、交通事故の賠償責任に関しては、道路交通安全法が詳細を規定している。
自動車対歩行者の交通事故の場合、原則自動車の運転車は責任を免れない。無過失責任である。
但し、証拠をもって、歩行者が道路交通安全法令に違反し、運転者が必要な措置をとっていたことを証明することができた場合は、責任が軽減する。また、歩行者が当該事故を故意に招いた場合、運転者は当該事故につき責任を負わない。
日本の場合、上記道路交通安全法に相当する法律は「自動車損害賠償保障法」である。自動車損害賠償保障法の場合、歩行者をはねた自動車運転者は①被害者に故意又は過失があること、②自己に過失がないこと、③車輌に欠陥がないことを立証しないかぎり、被害者に対する賠償責任を免れることはできない。
歩行者保護の点では、中国の道路交通安全法と発想を同じくするが、中国の道路交通安全法が自動車運転者の無過失責任を認めているのに対し、日本の自動車損害賠償保障法は過失責任を前提とする。もっとも、同法も運転者に自己に過失がないことの立証を要求し(立証責任の転換)、事実上無過失責任を認めているようなものではあるが、、、。

 中国の道路交通安全法上、歩行者はかなり保護されているはずなのだが、実際の交通情況を見ると、歩行者と自動車は対等である。
何が対等かというと、自動車は歩行者を弱者と見做していないのだ。歩行者が横断歩道を歩いていても、車は僅かな隙間をみつけて突き進んでくる。また、歩行者も車が突っ込んできても、立ち止まることもない。
中国では、下を向いて歩いてはいけない。背筋をピンとして、たえず四方八方に注意を払わないと、いつどこから車が、原動機付自転車が、そして自転車が飛び出してくるか分からないのだ。
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『中国のかたち Ⅱ』
2007-05-25 Fri 09:26
中国法に接するようになって驚いたのは、各国家機関及び各地方政府が各種法規を制定公布し(当初、曉は法規の濫立ではないかと思った。)、また法規の内容がしばしば矛盾しているということである。今日は、この中国の法規について簡単に説明したい。
先ず法規の種類を説明すると、法規は、全国人民代表大会(「全人代」と略称)と全国人民代表大会常務委員会(「常務委員会」と略称)が制定する「法律」、国務院(日本の内閣に相当する行政機関)が制定する「行政法規」、国務院の傘下の省庁が制定する「部門規則」、そして地方議会が制定する「地方性法規」、地方政府が制定する「規則」の五つからなる。

【各法規の特徴】
①法律
国家の統治に関する事項や民事・刑事の基本的なルール等、立法法(法規についての法律)第8条が規定する事項は、一定の条件のもと国務院にその制定を授権できるものの、原則として立法権を有する全人代及び常務委員会が法律として制定公布しなければならない。
②行政法規
国家の統治に関することを全人代や常務委員会が法律で制定することは困難である。そこで、国務院は、法律を執行する上で必要となる事項や憲法が認めている国務院の行政管理権限に関する事項を行政法規として制定することができる。簡単に言うと、国務院は行政機関として法律を執行し、行政組織を管理統括しなければならないところ、その権限行使に関連する事項を行政法規として自ら定めることができるということである。
③部門規則
国務院傘下の司法部、商務部、人民銀行等の諸官庁は、法律や行政法規に基づき、その職権の範囲内で部門規則を定めることができる。
④地方性法規
地方の人民代表大会(及び地方の常務委員会)は各行政地域の具体的情況や実際の需要に応じて、憲法、法律、行政法規に抵触しない前提のもと、地方性法規を制定することができる。
⑤規則
地方政府は、法律、行政法規、地方性法規に基づいて、規則を制定することができる。

以上、ざっと中国の法規を説明したが、中国の場合、法律は大枠的なルールを規定するのみで、それだけでは使えないということが多い。
このため、国務院の行政法規や諸官庁の部門規則の規定の方が実務的には重要になる。
では、各法規の内容が他の法規と矛盾した場合はどうなるのか。各法規の優劣については、立法法は以下のように規定する。

・法律は、行政法規、地方性法規、部門規則に優越する
・行政法規は、地方性法規、部門規則に優越する
・地方性法規は、地方政府が制定した規則に優越する。

これより、法律>行政法規>地方性法規・部門規則という優劣の順序が導き出される。しかし、これだけでは、地方性法規と部門規則、或は部門規則と地方政府の規則の間の優劣関係が分からない。この点、立法法は、地方性法規と部門規則が同一の事項につき異なる規定を定め、いずれを適用すればよいのか分からない場合、国務院が地方性法規を適用すべきと考えたときは、当該地域においては地方性法規を適用することを決定し、また部門規則を適用すべきと考えたときは、全人代常務委員会に裁決を求めなければならないとしている。そして、部門規則と地方政府の規則との間の矛盾については、国務院が裁決をすると定めている。
中国では、各地方が外国からの融資を呼び込むために、独自の規定を設けることが少なくなかった。このため、国の規定と地方の規定がしばしば矛盾し、外国企業が中国に進出し、中国で実際にオペレーションを行う際、どちらの法規が優先するのか分からないという事態が生じた。
2000年3月15日公布、同年7月1日施行の立法法は法規間の矛盾衝突について解決指針を示すものであるが、国務院が現実に動かないことには、衝突矛盾する法規が併存し、法規間の優先関係が不明瞭であることに変わりはない。
中国での法律実務は、各機関から日々公布される各種法規を調査し、法規間の矛盾点を把握したうえで、法律問題に対処しなければならない。
日本の法律実務も簡単ではないが、中国の法律実務には日本とは少し違った難しさがある。
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『食の安全』
2007-05-17 Thu 10:24
午後から大学に行き、法律英語という授業に出る。この科目は留学生の曉には必修の科目ではないので、本来出席する必要はないのだが、英語を勉強しながらアメリカ法も勉強でき、講師の先生(アメリカの弁護士)も非常にユーモアのある面白い人なので、これまで一回も休むことなく出席している。
その授業の休み時間、隣の席のC君との会話。

A:昼はいつも何処で食べているんだ?
C:学校の食堂で食べてるよ。
A:他の学生達は食堂のご飯は不味いと言って、外に食べに行っているけど、外には行かないのか?
C:学校の外の食堂は、汚くて不衛生だから、食べない。安い店は、普通の店では使わない悪い肉を使っているだろうし、売れ残りを翌日も使ったりするからね。学校の食堂は美味しくないけど、体に悪いものは使っていないと思う。
A:そうなのか?巴比饅頭はどうなんだ。あれも食べない方がいいのか。
(巴比饅頭とは、昼食を食べる時間がないときに、曉が愛用する豚饅のチェーン店である。
華東政法学院の近くにもあり、肉まん一個が0.7元(約10円)と安い。)
C:それは、まあいいと思うよ。

C君曰く、学校の正門や裏門の近くに軒を並べる小さな食堂は、衛生面で問題があるので、そのような店で食事をしない方がいい。
また、服は品質の悪いどんな安物でも体に悪い影響を与えることはないが、食の場合はそうは言えない。
彼の言っていることは、正しい。
曉も中国に来て1年と8ヶ月、こちらの生活に慣れるにつれ、一般の中国人しか行かないような店で食事をすることにも抵抗を感じなくなってきた。しかし、食の体にもたらす影響は大きい。あらためて、注意をすることにしよう。
 
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『中国のかたち』
2007-05-07 Mon 09:33
世界には170以上もの国があり,各国はそれぞれ独特のかたちをもつ。
統治の仕組みをみると,大統領制を採用し,大統領,議会,裁判所が三極に分立しているアメリカ,議員内閣制を採用し,内閣,国会,裁判所が分立している日本,両国の統治制度は立法機関と行政機関との関係ひとつをみても大きくことなる。
しかし,日本もアメリカも国家権力を立法権,行政権,司法権の三つに分け,それぞれ三つの機関に分担させて,相互に抑制均衡を図る三権分立制を採用している点では共通する。
この三権分立の狙いは,能率的な国家統治を実現することにあるのではない。むしろ行政機関,立法機関,司法機関の三者が抑制しあうことによって,国家によって国民の権利が侵害されないよう予防することにある。

この点,中国はどうであろうか。
中国では,国家の権力は全て人民に帰属するものとされており(中華人民共和国憲法2条1項),全国人民代表大会(以下「全人代」と略称)を通じて人民は権力を行使するとされている(同条2項)。
全人代は年に一度開催される会議体ということもあって,普段は全人代常務委員会が全人代にかわり権力を行使する。
全人代と全人代常務委員会は基本的には法律を制定する立法機関なのだが,この両者の下に,行政権を行使する国務院(先日来日した温家宝氏は国務院のトップ),司法権を行使する人民法院(裁判所)や人民検察院(検察庁),そして中央軍事委員会がある。全人代はこれら機関のトップを任免するという人事権を持ち,各機関のトップは全人代及び全人代常務委員会に対して責任を負う。
つまり,本来立法機関である全人代が圧倒的な力を持ち,その立法機関のもとに行政,司法,軍の各種権力機構が属するというかたちをとっているのである。
この点からみれば,中国にはアメリカ流の三権分立という統治システムはないということになろうか。

以上,中国の国の成り立ちについてお話したが,中国の国家主席はどのような役割を担う人なのか?
中華人民共和国憲法をみると,主席は全人代によって選任され,その権限は全人代や全人代常務委員会の決定に基づき①法律の公布,②国務院の総理,副総理,国務委員等国務院の幹部の任免,③勲章等の授与,④特赦の発布,⑤戦争状態の宣布等を行うことである。
また,国事行為を行い,全人代常務委員会の決定に基づき条約の締結等を行う。
このように説明すると,国家主席よりも全人代常務委員会委員長の方が強い権力を持っているのではないかと考える人もいるかもしれないが,それは違う。
共産党の序列1位は胡錦涛氏であり,2位が全人代常務委員会委員長の呉邦国氏,そして3位が国務院総理の温家宝氏なのである。憲法の規定だけを観ると,全人代常務委員会委員長の権限がすこぶる強力に見えるが,国家主席は何と言っても国家の顔である。
また,胡錦涛氏は共産党の総書記であり,中央軍事委員会の主席をも兼任している。
つまり,中国の最高指導者は,国家の顔としての国家主席,共産党のトップとしての総書記,そして軍のトップとしての中央軍事委員会主席のポジションを兼任することによって,強力なリーダーシップを発揮するのである。

中国の憲法を読む限り,三権分立制の基礎にある国家権力に対する不信といった観念は見受けられなかった。実際のところ,国家権力の行き過ぎをどのように抑制しているのか,外国人である曉には正直分りにくい。これは今後の課題としよう。
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『昆劇「玉簪記」観賞』
2007-05-04 Fri 10:35
中国は,5月1日(労働節)から1週間,学校も職場もお休みである。田舎に帰る人もいれば,旅行に出かける人もいる。そして,曉のように家にこもって読書三昧という人もいる。何処に出かけても人だらけ,地方からやってきた観光客達と押し合いへし合い,何をするにしても長い行列,ゆっくり家で過ごすのが一番である。
とはいえ,1週間の休みの間,ずっと家で過ごすというのも,体がなまる。
そこで,ワイフと昆劇を見に行くことにした(学割で30元(450円)である。安い。)。昆劇とは,京劇の源流の一つとも言うべき伝統芸能で,オペラのように音楽にあわせて演者が独特の節回しで歌を歌う歌劇である。

 曉が観劇した「玉簪記」は,簡単に言うと,ラブコメディである。ストーリーはこうである。
時代は明朝,仕官を志す若いインテリ青年が叔母の家に身を寄せ,試験勉強をしていた。その叔母のもとには,戦乱で身内をなくした美しい娘がいた。インテリ青年とその娘は恋に落ちるのだが,青年は娘の気持が分らず,恋の病で寝込んでしまう。青年は娘が転寝をしているとき,彼女の詩を盗み見て,彼女の気持を知る。これでハッピーエンドかと思ったとき,青年と娘の仲をしった青年の叔母が,「お前の両親はお前が将来名を成すことを願っている。今のままでは心静かに試験勉強などできない。」と言って,早く臨安(街の名,任官試験の開催場所)に行けと青年を家から追い出してしまう。青年がいなくなったとことを知った娘は青年の後を追いかける。途中舟に乗り,急ぎに急いで青年の乗った船に追いつくことができた。そこで,青年は試験に合格して必ず戻ってくることを誓い,娘は身につけていた玉の簪を青年に渡す(ここで幕がおりる)。
ストーリー自体は非常にシンプルで,ありきたりと言えば,ありきたりだが,インテリ青年と娘のしぐさが軽妙で可笑しい。大爆笑するような喜劇ではないが,時々クスクスと笑いを誘う心地よい喜劇だった。

中国には,代表的な京劇以外にも,今回観賞した昆劇や四川の川劇といった各地域で発展し継承されてきた伝統芸能がある。独特の節回し,そして古語を使うので,字幕がないと意味がよく分からないが,それぞれ特徴があって面白い。
伝統的な音楽,美しい衣装,そして心地よい笑い,約2時間にわたって目と耳を楽しませてもらった。 
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| 暁弁護士の中国日記 |
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