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『ある師の死』
2007-12-23 Sun 15:53
伯父の葬儀に参列した。
伯父と言っても家内の伯父で,本来であれば,頻繁に自宅に遊びにいくといった間柄ではないのかもしれない。
しかし,大きな声,圧倒的な存在感,深い学識,鋭い洞察力と,会うたびにそのスケールの大きな話に魅了され,曉は東京に行く用事があるたびに伯父宅を訪問した。
格があまりに違うので,対話にならない。
伯母さんの美味しい手料理を味わいながら,酒を飲み,ひたすら伯父の話を聞くのである。午後6時ごろから始まって深夜1時,2時ということもあった(そして,翌朝は午前9時ごろから曉が暇乞いするまで続く)。
不思議なことに人生の転機には,かならずと言っていいほど東京出張の予定が入り,そして伯父宅を訪れていた。悩みを直接伯父に相談するということはなかったが,伯父は曉が置かれていた状況を察し,悩みを解決するヒントをくれた。
そうした優しい人だった。
伯父の人生は,それこそ戦いつづけた人生だった。
非正規の社員として物流会社に入り,猛烈に働いて出世し,まだ物流という言葉が一般的でなかったころに物流の専門家として頭角を現した。
国鉄改革では,大きな役割をにない,その後は某企業グループの総帥から三顧の礼をもって迎えられ,グループ企業の再建の陣頭指揮を執った。
一方,地域社会の活性化にも取り組み,地域の各種委員会の委員長に就任し,コミュニティーバスを立ち上げるなど獅子奮迅の働きをした。そうした伯父の葬儀には,政官財の大物だけでなく,伯父を慕う地域の住人も大勢参列した。
曉の結婚式の際,伯父は新婦親族代表として挨拶した。
その時,伯父は「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格はない。」というレイモンド・チャンドラーの小説の一説を引用した。伯父はこの言葉が好きで,よく口にしたが,その言葉は伯父の生き様を体現していたように思う。
今も曉の頭にあの大きな声がこだましている。
「曉君,君はその程度か。弱いなあ。そんなんじゃ生きていけないよ。」と。
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