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『シルクロード旅行(第2章①)』
2006-08-24 Thu 22:12
午前8時ホテルのロビーに行き,昨日電話で予約した某旅行社敦煌支店のガイドを待つも来ない。
約束の午前8時を15分ほど回ったところで,同旅行社敦煌支店に電話。
昨日,電話で応対した職員に「今日の晩,敦煌空港に着くので,明日一日の敦煌観光ための車とガイドの手配をお願いします。」と言っていたにもかかわらず,25日(明日)と思って車とガイドを手配したとの返事。
その支店の責任者は,開き直って,「貴方が25日というから,25日に手配をしました。しかし,何の問題もありません。今から手配します。」という。
さすがに,カチンと来て,「明日の手配をお願いしますとは言ったが,25日などと言った覚えはない。今から手配をするとなれば,おそらく1時間以上客を待たせることになる。貴方達の手違いで,こういう状況になったのだから,ガイド代や車代を少し安くしていただきたい。」と言うと,敦煌支店の責任者は,それは出来ない,少々遅くなっても大丈夫の一点張り。
横で聞いていたワイフはホテルのトイレの臭さに少し苛立っていたこともあってか,私も一言いいたいと旅行社の責任者に対し今回の手配拙さについて文句を言っていた。
上海に来て約5ヶ月,ワイフも逞しくなった。頼もしい限りだが,逞しくなりすぎるのも困る。
結局,その旅行社と押し問答をしても無駄と思い,他の旅行社に電話し,敦煌一日観光の手配をしてもらうことにした。
電話をかけてから20分ほどで,ガイドと運転手が宿泊先のホテルまでやってきた。

彼らと回ったコースは,漢代の長城跡→玉門関→陽関→鳴沙山・月牙泉。
漢代の長城跡は,敦煌市街から車で1時間,砂漠の中の一本道(写真①)をひたすら走ったところにある。
20060904101208.jpg


北京郊外にある明代の長城とちがって,壁の高さは3メートルほど。
長城は玉門関から楼蘭に向って延びている(写真②③)。
20060904101220.jpg

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聞くところによると,西域を目指したキャラバン隊は,山のあるところは山の麓を,山のないところは,長城にそって旅をしたということである(写真の長城の壁と柵の間の少し窪んだところが,キャラバン隊が実際に通った真のシルクロード)。
玉門関は,過去何度か場所が変わったということだが,今回訪れた玉門関は漢の武帝時代に築かれたもの。明代以降は海のシルクロードが発達し,そのあおりを受けて陸路は廃れてしまった。
そのため,現在残っているのは,粘土を固めて造った事務所跡(写真④)だけである。
20060904101242.jpg


玉門関は漢の時代,漢帝国の支配領域の西端であり,この関を越えることは西域の異国の地に足を踏み入れることを意味した。風化がすすみ,岩のような事務所跡だけが残る玉門関だが,2100年前は2万人の兵が駐屯し,非常に賑やかで活気のある場所だったという。この地がかつてそんなに繁栄した場所だったとは想像できない。
海のシルクロードの発展とともに,廃れ,消えた玉門関。
無常である。
玉門関の後は,陽関。
陽関は玉門から南に約100キロのところにあり,移動に1時間以上かかるため,途中の農家風レストラン(写真⑤)で昼食をとる。
20060904101251.jpg


注文した料理は,羊肉と野菜,そして餅(日本の餅と違い,ラザニアなどに使うパスタに近い)を少し辛めに炒めたもの(写真⑥)。
20060904101301.jpg


陽関(写真⑦,再現された建物)は,玉門関から100キロ南に下ったところにある関所,玉門関と同じく漢の武帝時代に設けられた関所である。
20060904102110.jpg


今は狼煙台(写真⑧)が一つ残るだけで,かつて200人の兵士が駐屯していたという関所の跡は影も形もなく消えてしまっている。
20060904102121.jpg


ガイドのTさんの話によると,狼煙は,狼の糞を燃やして煙をたてたことから,「狼煙」と言うようになったらしい。狼の糞は,燃やすと真っ直ぐ煙が立ち昇り,狼煙の燃料としては最適だったようだ。
しかし,誰が発見したのだろう?いろんな材料を試みた人がいたのだろうか?
シルクロードのルートを簡単に説明すると,シルクロード(河西回廊,西安から敦煌へのルート)は敦煌で,天山北路,天山南路(西域北道),天山南路(西域南道)に分かれる。
玉門関を抜けると,路は西域北道に続き,陽関を抜けると,路は西域南道へと向かう。曉の今回の旅行は,天山南路ではなく,まず天山北路を辿り,トルファン,ウルムチへ向う。そして,最後は西域北道と西域南道の合流地点であるカシュガルに行く予定である。

抜けるように青い空に,見渡す限りひろがる荒涼とした大地(写真⑨),今回の旅行でもっとも感動した風景の一つである。
20060904102130.jpg


ワイフによると,西安の兵馬俑よりも感動し,涙がこぼれそうだったとのこと。
いずれにしろ,機嫌がよくなって,良かった。助かった。
陽関を見た後は,一度ホテルに戻って休憩し,日が暮れるのを待って,鳴沙山・月牙泉へ(写真⑩⑪)。
20060904103301.jpg

20060904102144.jpg


言うまでもなく,鳥取砂丘とはスケールがちがう。
南北20キロ,東西40キロにわたって,砂の山が続く。砂丘の頂に登ってみたが,向こうにはもっと高い砂丘が見える(写真⑫)。
20060904102204.jpg


砂丘の頂から観ると,敦煌の街は緑に溢れ,まさにオアシス。敦煌の気候は厳しい,夏暑いだけでなく,冬は氷点下20度前後にも達する。
曉もさすがに敦煌に住む根性はない。
しかし,歴史的遺産,何処までも続く砂漠,南国のリゾートで優雅にリフレッシュというのも捨て難いが,人類が荒涼とした大自然の中に刻み付けた歴史的遺産は一見の価値ありである。
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