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『シルクロード旅行(第2章②)』
2006-08-25 Fri 22:21
朝7時半,ホテルの前でタクシーを拾って,莫高窟へ。
8時過ぎに莫高窟に着く。
莫高窟は,大同の雲崗石窟,洛陽の龍門石窟とともに三大石窟の一つであり,十年以上前から一度行ってみたいと思い続けていた場所。
チケット売り場の近くにある接待所に行き,ガイドの斡旋をお願いするも,ガイドは9時20分ごろに来るので莫高窟の入口のところで待っていてくれと言われ,仕方なく莫高窟の入口へ。
莫高窟は石窟内部での写真撮影が禁止されているので,入口のところでカメラや手荷物を預けて,ガイドが来るのを待つ。

待つこと20分,日本語のガイドがやって来た。
曉一行二人に一人のガイドをつけてもらえるわけもなく,他の3つの団体と一緒に観覧することになった。
うち一つの団体は大半が年配の方で,仏教芸術にかなり関心のある人達だった。莫高窟の石窟の数は492,そのうち拝観できる石窟は40ヶ所,拝観できる石窟の大半は入場料を払えば追加料金を払わなくても拝観できる。しかし,人気の高い石窟となると特別拝観料が必要になる。特別拝観料の金額は,石窟によって異なり,人気の高い石窟になると,特別拝観料は500元(日本円で7500円)にもなるという(昨日のガイドTさん談)。
石窟の中の仏像や壁画は,保存状態が良くないものも少なくない。
時代ごとに修復され,壁画は少なくとも二重塗り,多いものでは七重に塗られている。西夏時代の壁画が剥がれ落ち,中から唐時代の壁画が露出している石窟が数多くあった。
ガイドの話によると,唐代,特に盛唐のころの仏像や壁画は,非常に精緻で,色鮮やかであるが,清代に修復された仏像は皆同じ顔で,頭が大きく,足が短く,バランスがよくないらしい。
確かに,唐代の仏像・壁画と清代に修正されたものの差は,素人目にも明らか。

何故なのだろうか?
曉は疑問に思った。
北京に行けば,清時代の精巧な装飾品を数多くみることができる。清代になって,急速に芸術文化が衰えたというわけでもないだろう。
やはり,陸のシルクロードの衰退にともない,敦煌の中継地としての地位も低下し,仏像等の製作に多額の費用をかけることができず,そのため精巧なものを作ることができなくなったのではないか。

莫高窟の観覧を終え,ホテルに戻り,休憩。
上海の旅行社が依頼した汽車の切符を持った人(G氏,この人は敦煌発の汽車の切符や飛行機のチケットの手配を職業としている。)がホテルのロビーに来たので,会って切符を受取った。
切符を見ると,軟臥(一等寝台)ではなく,硬臥(二等寝台)の切符だった。ここで,軟臥と硬臥の違いを説明すると,軟臥は一つのキャビネットに二段ベッドが二つ,ベッドの幅も少し広く,全体的に清潔。
硬臥は一つのキャビネットに三段ベッドが二つ,別途の幅は狭く,最上段のベッドになった場合には,目が覚めても普通に起き上がることはできない。ベッドと天井との間が60センチほどしかない。
G氏に何故硬臥のチケットなのかと聞くと,旅行社からは特に軟臥とも硬臥とも聞いていなかったようだ。ワイフは日本でも寝台列車に乗ったことはない。初めて寝台列車に乗るワイフに,硬臥とは刺激が強すぎる。
曉はG氏に「旅行社には軟臥の手配をお願いしている。旅行社からは既に軟臥の切符の準備は完了していると聞いている。なんで硬臥なんだ!」と上海の旅行社に電話をかけようとしたところ,G氏は「まてまて,旅行社に電話をかけるな。軟臥と硬臥の差額を払うから,硬臥でいいだろ。二枚とも下の段で,いい切符だぞ。」ときた。
これでは何のために相応の手数料を支払ったのか分からない。
曉は,最悪の場合を考え,G氏に,とりあえず硬臥の切符を渡すこと,その上で軟臥の切符を手配するよう要求した。
G氏は,それなら今から軟臥のチケットを買ってくるから待っていてくれという。
しかし,万一,何らかの事情でG氏と連絡がとれなくなった場合,曉一行はトルファンに移動できなくなる。
そこで,曉は敦煌市内見学を中止し,G氏とともにタクシーに乗って敦煌駅(敦煌市街から120キロ)に向った。
ホテルを出る前に,昨日のガイドのTさんに電話をかけ,当日軟臥の切符を手に入れることができるかどうか確認したところ,難しいのではないかということだった。
親切なTさんは,サンダルに短パン,白いシャツという格好で,ホテルにやって来て,G氏に曉一行をきちんとサポートするようにと言ってくれた(そのせいか,G氏はよく頑張ってくれた。始めから軟臥の切符を準備しておけば,今日頑張る必要はなかったのだが,,,)。

曉一行はG氏と敦煌駅(正確には,柳園駅)を目指し,砂漠の一本道を2時間走り続けた。敦煌駅には午後3時半ごろ到着。
駅の近くの飲食店で,座して待つこと30分。
G氏が戻ってきて,午後6時半には切符を渡す,もうしばらく待ってくれと言う。どうも切符売り場に並んで待っているようだ。しかし,約束の時間にG氏は現れず,遅れること1時間,午後7時半にG氏は約束の軟臥の切符を持って現れた。それまで,曉はジタバタしても仕方がないと本を読んで待っていたが,切符を受取った途端,急に空腹を感じた。午後三時半から何も注文もせず,4時間も坐って待っていた飲食店で,少し腹ごしらえをして駅の待合室に向う。
中国の場合,軟臥と硬臥とでは待合室が違う。軟臥の待合室は,ソファーが置いてあって,人も少なく快適である。しかし,硬臥の場合は,ベンチシートで,人でごった返している。ワイフは中国の寝台列車がどんなものかイメージができないらしく,すこし不安な様子。
しかし,待合室が清潔でゆったりしているのには満足したようだ。

午後9時10分ごろ,ウルムチ往き寝台列車(写真①)に乗り込む。
20060904104824.jpg


軟臥は一般の日本人が考えているより快適である(写真②)。
20060904104847.jpg


同室になった乗客は,上品な韓国人のご夫妻。ワイフが知る限りの韓国語を立て続けに口に出したことが功を奏したのか,そのご夫妻とは一気に和やかな雰囲気となった。
この夫妻は,敦煌,トルファン,ウルムチを3泊4日で回るという。
ご夫妻は中国語が喋れないので,会話は自ずと英語となったが,曉及びワイフは混乱した。ご夫妻の言っていることは分かる。しかし,相手に何かを伝えようとすると,中国語で話しをしてしまい,意識をして英語を話そうとしても,ところどころ中国語が混ざってしまって,分けの分からない言葉になってしまった。
「私達は,,,今,,上海に,,住んでいます。中国語を,,勉強しています,,,,」といった調子で,まどろっこしい限りである。
上海に戻ったら少し英語も勉強することにしよう。

韓国人のご夫妻は,韓国の旅行社の添乗員が配ったメロンやハミ瓜を,量が多いからと言って曉とワイフに分けてくれた。
韓国人のご夫妻,もう二度と会うことはないかもしれませんが,カムサハムニダ。
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