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『シルクロード旅行(第3章①)トルファン』
2006-08-26 Sat 22:33
午前6時半ごろ,トルファン駅に到着。
列車を降り,親切な韓国人ご夫妻に挨拶をして,駅を出た。そのとき,曉は,ついに外国に来たと思った。
もちろん,中国は,曉にとって,外国なのだが,中国に来て約1年,ワイフが上海に来て約半年。中国の生活習慣にも慣れ,言葉もある程度分かるようになると,なぜか外国という意識が薄くなるように思う。
ところが,トルファン駅を出たとき,観光客を捕まえようとして駅前で待ち受けているタクシーの運転手の顔は日頃見慣れた中国人(正確には漢人)の顔とは明らかに違う。褐色の肌,眉毛が濃く,目鼻が大きい。非常にエキゾチックな顔をしている。敦煌にもウイグル人等の少数民族はいたが,トルファンは敦煌より600キロ以上も西に位置するため,ウイグル人の割合が高い。
昨日,某旅行社トルファン支店に電話をかけ,今日一日のガイドの手配を依頼したとき,その支店の責任者が,「汽車がトルファン駅に着いたら,自分の携帯に電話をかけてくれ,トルファン駅まで迎えに行く。」と言っていたのを思い出し,彼の携帯に電話をかけたが,つながらない。
おっと,そうきたか。
不安がよぎる。
しかし,連絡がつくまで待つのもバカらしい。駅前でタクシーの運転手と値段交渉をして,宿泊先のホテルへ。
ホテルに着いたのは,午前7時半ごろ,時差の関係もあり(中国は全国すべて北京時間を使うが,実際には1時間40分ほど時差がある。),まだ薄暗い。フロントに行くと,曉一行が宿泊する予定の部屋は,まだ前の客が使っている(寝ている)ということで,フロントに荷物を預け,旅行社に連絡をすることにした。

某旅行社トルファン支店に電話しところ,昨日とは違う職員(女性)が電話にでた。
昨日の依頼を説明し,日本語のガイドと車の手配が可能かときくと,可能との返事。車は30分後,ガイドは急なことなので少し遅くなりますが,急ぎホテルに向わせますとテキパキとした対応(昨日の責任者がきちんと手配,少なくとも引継ぎをしていれば,曉一行がガイドを待つこともないのだが,,,),感じは悪くない。
実際,20分ほどで,タクシーの運転手から,ホテルの前で待っているからガイドが着いたら連絡をくれとの電話が入った。
それから,暫らくして,ガイドから電話が入った。

「ウェイ,ニイハオ!ウォ シ ダオヨウ。ニィ ザイ ナール?,,,,」。

おかしい。

普通,日本語のガイドの場合,日本語で話しかけてくる。曉の方から,「もしもし,ガイドさんですか?今何処にいます?」と聞くと,暫らく沈黙。
予感的中。
ホテルにやって来たガイドは英語のガイドだった。
早速,旅行社に電話,すると昨日の男がでた。彼は開き直って,「貴方はガイドとしか言わなかったから,英語のガイドを手配した。」とのたまう。
曉はさすがに頭にきて,
「あんた,昨日日本語のガイド手配する言うたやろ。英語で話されても,細かい説明がわからんやないか。それに,ついさっき,あんたの同僚も日本語ガイド手配すると言うたばかりやないか。」(日本語に訳すると,こんな調子)
と文句をいい,他の旅行社に頼むと言って電話を切った。
すると,ホテルの前まで来ていたガイドから電話がかかってきた。
彼は「貴方は中国語がわかるから,没問題(大丈夫の意)!英語も使えば,何とかなる。」と言う。確かに,今から日本語のガイドを手配するのも無理がある。ワイフが聞き取れなかった中国語は曉が翻訳すれば何とかなるかもしれない。そこで,曉は,そのガイドに,電話で観光案内費用(車のチャーター代及びガイド代)を25%ディスカウントするよう要求。すると,ガイドは曉一行がいるホテルのロビーにやって来て,会社の責任者と直接話をしてくれという。ガイドの携帯電話を使って,例の責任者と話をしたところ,値下げは無理だと言う。
曉は,責任者に,朝トルファンに着いたときに連絡がとれなかったこと,日本語のガイドを手配するといいながら手配できなかったこと,場合によっては曉がガイドの話しているとことを翻訳しなければならないことを並べ立て,減額を要求。結局,20パーセントの減額で一件落着。
ホテルにやって来たガイドは,ウイグル族のA君(推定24歳)。
小柄だが,なかなかの男前。
ウイグル語,中国語,英語を話すことが出来る彼は,現在日本語の勉強中。急いでホテルに駆けつけてきた彼に罪はない。
交渉成立後,彼に「今回の手配の拙さは君の問題ではないよ。旅行会社の問題だよ。」と言うと,彼も少し緊張が解けた様子。気を取り直して,元気良く出発。

彼と一緒に回った観光ルートは,高昌故城→アスターナ古墳群→ベゼクリク千仏洞→火焔山→葡萄を栽培農家で昼食→葡萄溝→蘇公塔→交河故城→カレーズ民族園。簡単に説明すると,高昌故城(写真①)は,麹氏高昌国の王城跡で,かつてこの地を玄奘が訪れ2ヶ月間滞在し,最高の持て成しを受けた場所として有名である。アスターナ古墳群(写真②)は,もともとは高昌国の貴族の墓だったが,後には一般に人(高昌国で不運にも命を落とした隊商等)も埋葬された。現在三つほど墓が公開されており,そのうち一つには,1300年以上前の夫婦のミイラが安置されている。ベゼクリク千仏洞(写真③)は,高昌国の時代からイスラム教がトルファンに広まる14世紀ごろまで造営された石窟である。
火焔山(写真④,最も眺めのいいポイントでは,天候の影響でいい写真がとれなかった。)は,西遊記にも登場する有名な山で,山肌に幾重にもひだが入っていて,また山肌が赤いため,山が燃えているように見える。その名の通りの山である。
葡萄溝は,草木が一本も生えない褐色の山の谷間に幅約2キロ,長さ約6キロにわたって広がる葡萄畑。蘇公塔(写真⑤)は,18世紀後半トルファン郡王スレイマンが父親のために建てたモスクである。レンガ造りの円錐型の塔は44メートル,壁にはレンガを使った幾何学的な模様がある。交河故城(写真⑥)は,二つの河の中州に築かれた城で,かつては車師前国の王都,高昌国時代は交河郡都がおかれ城跡である。カレーズ民俗園は,砂漠に縦に井戸を掘り,地中で井戸と井戸を繋ぐことによって,天山山脈の雪解け水を山の麓からトルファンまで引いたカレーズについての博物館のような施設。実際,天山山脈の雪解け水をこの民俗園まで引いており,その冷たい雪解け水に直接触れることができる。

ガイドA君とのトルファン一日観光は,盛りだくさんだったが,曉がもっとも強い印象を受けたのは,ベゼクリク千仏洞。
正直言って,石窟の保存状態はよくない。
イスラム教がこの地に浸透した14世紀ごろ,石窟内の多くの壁画は破壊された。壁画の中の人の顔が悉くえぐり取られている。また,運良く破壊を逃れた壁画は,イギリスやドイツの探検家によって持ち去られたということである。もともと壁画は芸術として作成されたものではなく,信仰の一環として作成されたものだと思うが,当時のイスラム教徒には,もう少し宗教的寛容さが欲しかった。壁画を持ち去ったイギリス人やドイツ人には,当時の価値観は今とは違うのだろうが,一体何の権利があって持ち出したのかと思う。
作成された当時,この石窟の壁画は,信仰上の祈り,魂を込めて作られた精緻なものであったに違いない。人間は,どうしようもなく愚かで残酷な生き物だ。

高昌故城と交河故城の眺めにも感動した。
かつての建物は破壊され,風化し,岩なのか建物の跡なのか区別が難しいところもある。高昌国時代,この地に壮大な王宮や仏塔があったかと思うと,盛者必衰,寂寥感を感じる。兵どもの夢のあと,と言ったところだろうか。
面白かったのは,昼食。
何が美味しいのか分からないので,A君に注文を任せたところ,とても二人では食べきれないほど注文をする(写真⑦⑧)。
西安,敦煌のガイドと運転手は,昼食は曉一行とは別にとっていたが,A君は曉一行と一緒に坐って注文した料理を食べること食べること。そのうえ,遠慮している運転手(漢族)に対して,「遠慮せず,食べろよ。おいしいぞ。」と勧める始末。
曉は「おいおい,お金を払うのは俺だぞ。何でお前が他人に食事を勧めるんだ。」と心の中でツコッミを入れたが,二人で食べるより四人で食べる方が楽しい。また,A君の人徳か,何故か特に怒る気にもならない。皆でウイグルの民俗舞踊を楽しみながら,美味しい料理に舌鼓を打つ(写真⑨)。ごちそうさま。

トルファン一日観光が終わり,ガイド代等の精算をした後,A君は曉一行をバザール(写真⑩⑪)に連れて行き案内してくれた。今日は葡萄節ということで,バザールは買い物客でごった返していた。シルク,カシミヤなどの布製品,煌びやかな光を放つツボや食器,どれもこれも人の関心をそそるものばかり。
ワイフはカシミヤにいたくご執心,曉は果物市場でラグビーボールよりひと回り大きいハミ瓜,ふた周り大きい西瓜を買った。新疆の8月といえば,やはりハミ瓜をはじめとする果物だ。ホテルに帰って味わうことにしよう。
A君はウイグルの名物料理サモサ(中に少し塩味のきいた羊肉が入ったパイ。羊肉の脂も入れて焼くので非常にジューシー。)を紹介してくれたので,曉一行は早速賞味。旨い。そろそろホテルに帰ろうかという頃,A君は曉にウイグル人がかぶる帽子を買ってプレゼントしてくれた。
正直,とても似合うとは思えない。似合ったとしても,一体何処でかぶるのだろう?とはいえ,プレゼントというは,やはり嬉しいものである。
A君は非常に機転がきく,陽気でとても楽しい男だった。
ホテルのロビーで別れる際,彼に朝値切ったガイド代や車代の半分を特別報酬だよと言って渡した。最初は受取ろうとしなかったが,「これは,君に対するお礼だよ。」と言って手に握らせると,最後はニコッと笑って受取ってくれた。ワイフは最後にA君に中国語で話しかけ,最後に「ラフォメット」とウイグル語でお礼を言っていた。
ちきしょう,やられた。
A君が教えてくれたウイグル語を最後に使おうと考えていたのだが,あちこち見て回っているうちに忘れてしまった。
ホテルに帰って,チェックインしたところ,部屋には冷蔵庫がない。
洗面台に水をためて西瓜を冷して食べた。
甘い。とにかく,甘い。
幼いころ,田舎で食べた西瓜の味がする。
さすがに西瓜とハミ瓜両方を同時に食べることはできない。ハミ瓜は明日のお楽しみ。
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