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『北京の冬至は水餃子』
2006-12-22 Fri 09:14
朝早く起き,上海虹橋空港に向かう。
北京に行き,曉が敬愛する律師の一人であるH老師に会うためである。
北京には丁度正午に着いた。
H老師が所属する律師事務所に行って,H律師と遅い昼食を共にした。約1時間,少し辛めの四川料理を味わいながら,意見交換をし,貴重なアドバイスを拝聴した。
夕方からは,北京語言大学時代にお世話になった李老師宅へ。毎度好例の行事となってしまったが,李老師のご主人(通称「叔叔」(おじさんの意味))手作りの水餃子をお腹がはちきれるほど食べた。
今日は,インドネシアの留学生2名(女性),日本の留学生2名(女性)も李老師宅に遊びに来ていたので,いつもより賑やかな食事となった。インドネシアの留学生はともに華僑で,両親や祖父母の祖国の言葉を勉強しに来たということだった。日本の留学生は,それぞれ福岡の大学と京都の大学から来た女子大生。福岡から来た女の子の話によると,日本人の多いクラスに所属することになったためか,日本人同士でかたまってしまい,授業以外は日本語を使うことが多かったとのこと。
確かに,彼女の中国語は,一年間留学していたにしては,少したどたどしい。
曉は,おせっかいにも,「インドネシアの留学生もいるから,中国語で話をするぞ。」と言って,日本人留学生の彼女たちとも中国語で会話をすることにした。
曉の場合は,は北京に留学したときから,上海の大学で中国法を勉強したいと考えていたため,3ヶ月でHSK6級をとらなければならなかった。そのため,曉は4ヶ月半北京に居たわりには,北京のことをよく知らない(ワイフに対するアリバイは完璧である)。
それに比べて,インドネシアの女の子達は2年間,日本の女の子達は1年間じっくり中国語を勉強している。若いからこそなせる業だと思う(もちろん,親のバックアップも必要だ)。
もし自分が20歳のころ留学していたら,どうなっていただろうか?頭が軟らかく,中国語の吸収も早かっただろうが,若さゆえに誘惑も多かったに違いない。
曉の場合,30歳を過ぎてから留学したことは,正しい選択だったのだと思う。

                   
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